人工知能 よくいわれる人間と機械の違いは,人間は自分で学習して, 可能な限り(どこまで可能なのかはよくわからないが), 強くなる可能性があるというところである. 多くのひとは機械学習という技術を用いて機械に考えさせようとする。 その技術を用いると,確かに機械も学習することができる. しかし,機械学習による方法では学習の方法を,機械は学習することができない. つまり,人間が記述したとおりの学習しか行うことができない. このような制限のあるものが,可能な限り強くなるとは思えない. 学習についての学習を学習する機械について考えても同じことだ. 学習についての学習について学習することができないという話になり, 知性に近づいているようにみえることはあるかもしれないが,知性にはならない. では人工知能をつくることは不可能なのかというと,そういうわけではないと私は考えている. 人間と機械のもっと本質的な違いは,人間にとっては思考自体も観察の対象であると いうところである. 思考は人間にとって気付いたときには既に組み込まれているものであり, ひとは皆,思考とは何か具体的にはわからないまま手探りで思考を行っている. 思考のルールを完全に把握して思考している人間は今のところいない. もしそのような人間がいたとすると,そのひとにとっては全ての問題が計算問題になる. 人間は特定の対象について考えるとき,その思考自体についても知見を得る. それにより,当初考えもしなかった考えを思い付くことができる. この思考の「イデア」のようなものを,機械に組み込むことをしなければ, 人工知能は実現できない. これを行うことは非常に難しい. これを行うプログラマは思考のルールを全て把握して記述する必要がある. (ニューロン単位によるシミュレーションなどでも,人工知能が実現可能かもしれない. しかし,もしそのようなシミュレーションができたとすると,そのシミュレーションプログラム を読めば,どのようにしてそのプログラムが人工知能を生み出したのか 全て把握できるはずである.(人間の思考とは違い,プログラムの全ての動作は 定式的に理解可能なため) プログラムを書いた人は当然そのコードを読んでいるので,思考のルールを 全て把握するのと同じことをしているはずである.) 結局何がいいたいのかというと,思考のルールを把握していく以外に, 人工知能は実現するいい方法はないということであり, それはつまり逆に考えると,人工知能を実現する研究は,それを読んだ人間に 思考をどのように行えばいいのか,目からウロコが落ちるような示唆を必ず与えてくれる ようなものであるはずであるということである. という考えで,日々最強を目指して思考のルールを把握しようと研究している.
[Top] [Next essay]